「父と過ごした最後の3年」おいらく取材ノート体験者にきく4-2
「父と過ごした最後の3年」おいらく取材ノート 体験者にきく4-1の続きです
50歳 女性 田川エリさん
今回のテーマは「余命宣告」「緩和ケア」「終末医療」「最期」「葬儀」についてです
お父様が余命宣告を受けてから、84歳で亡くなるまでの間 家族で過ごした日々や思い出の中から「余命宣告」「緩和ケア」「終末医療」「最期」「葬儀」について「田川エリ様」にお話を伺うことができました
お話は多岐にわたるため、複数回に分けて掲載します
前回に引き続き医師からの説明をお聞かせ下さい
亡くなる2ヶ月前に医者から「輸血や抗がん剤治療をしても効果はでない」と説明を受けました
「医師からの説明」
- 「献血したことはありますか?」「他人様の血液を大切に使わなければなりません」
- 「輸血も、残念ながら治る見込みのある人に血液を提供するのでれば、輸血はとても有効な治療法になります」
- 「これから先は抗がん剤をやっても効果がない おそらく治療は無駄になる可能性が大きいと思われます」
- 「病院に治療にこられても効果は期待できないでしょう」
- 「入院していても治療は無駄になってしまうと思われます」
- 「緩和ケア病棟に移るか?」「自宅で療養するか?」「今後はこの二つの選択になると思われます」
- こちらとしては「緩和ケア病院」をいくつかご紹介しますので、今のうちに(お父様がまだ少しでもお元気なうちに)ご家族で話し合いをされてください
お父様のお気持ちを一番に優先して話し合うということですね
余命宣告を受けた患者にとって、病院での治療ができなくなると、医師から「緩和病棟に入院する」か「自宅で緩和ケア」を勧められることになります
もっとはっきり言うと「緩和病棟で亡くなる」か「自宅で最期を迎えたいか?」の選択になるということです
私達はまず病院からいくつか紹介された「緩和ケア病院」へ、父と家族で見学に行くことにしました 治療を開始して2年目 まだ父も歩いたりできる元気な時期でした
緩和ケア病院ではどんな説明を受けたのですか?
「緩和病棟での説明」
- 「ここは病院が運営する緩和病棟です ここは一般の病院に比べて、何の制約もありません」
- 「緩和病棟では治療はしません」
- 「何を食べても良いし、誰が来ても良いです」「ここは子供も赤ちゃんも面会できます」
- 「外出もご自由にされて下さい」「麻雀やりたいならしても良い」
- 「好きなことを何でもやられて下さい」「お酒もどうぞ」と説明を受けました
実際、緩和病棟に入る時は、きっともうそんな自由に行動できる体力も気力も残っていないのだろうと感じました 説明を聞いていて初めは自由で良いと思いましたが、だんだん聞いていて辛くなってしまいました「自由にされて下さいね」と言われても・・・
いや・・・これは聞いていてとても辛いです
余命宣告を受けたお父様自身もそしてご家族にとってもどれだけ辛いことか・・・
廊下に明るいポスターが貼られてあって、やたらと看護師やスタッフの方々が明るく接してこられた事も違和感に感じました
この病棟はほぼ寝たきりの方がほとんどであるはずです そのことを本人も家族も理解できていたので、父本人が一番聞いていて辛かっただろうと思いました
説明を聞いた帰り道、父からの言葉
「俺は緩和病棟には行かない」
「自宅で過ごしたい」
「入院もしない」
「後は死を待つしかないのなら、最後は自宅での療養を選ぶ」でした
訪問医療の医師を紹介してもらったのがこのタイミングだったのですね
そうです 今度は今治療中の担当医師から訪問医療の医師を紹介してもらいました
紹介してもらった訪問医療の医者は、訪問医療専門でやっている病院であり、たまたま父の血液内科の専門医だったことが救いでした
市民病院での治療は「抗がん剤治療」や「輸血」などで、1ヶ月の間に入院しているのは10日程度と日程が決まっていたので、その間ヘモグロビンの量によって輸血するかどうかを医師が判断
ヘモグロビンの量が落ち着いていた場合は、輸血はなしで自宅に帰ってくることもありました
市民病院での治療後は3週間程、間をおく必要があったため、その間に訪問医療を自宅で受けながら、訪問看護にも来ていただける様にお願いすることになりました
余命宣告を受けた時の状況をお聞かせください
お父様も同席されたのですか?
父本人の同席の上で宣告を受けました
ただ医師から余命を告げられた場所が、ナースステーションの様な人の出入りが激しい中だったのです 丸椅子が無造作に並べてあり、看護婦が事務処理をするパソコンの前で、家族と父に対して医師から余命宣告を受けました
てっきり診察室とか別室で聞くものだと思っていました
医師から「田川さんは余命2年です」
聞かされた父は「あーそうですか」と言わざるを得ない状況でした 父は、真面目な性格と企業勤めだった癖もあってペンと手帳を手に持って医師からの告知を聞いていました
家族としては、正直「父本人を目の前にして余命宣告をするのに、もうちょっとまともな場所で話せないものか?」「もっと静かな談話室みたいな場所で話せないのか?」と宣告を受けながら拍子抜けしたことを覚えています
たまたま忙しい担当医の状況下で告知に至ったのか?
それとも今の時代告知に対する捉え方が随分変わってきたのか?分かりませんが、今も昔も家族が受ける精神的打撃は計り知れないです
「父と過ごした最後の3年」おいらく取材ノート 体験者にきく4-3へ続く
老後を前向きに生きるためのヒントは、皆さんの生きてきたそれぞれの人生経験の中にあると思っています 人生経験豊富な年代の方ばかりではなく、若い世代の方でも同様です それは若い方なりの人生設計やプランが存在するからです
この取材ノートは、年齢問わず将来の自身の「おいらく(老いを楽しむ)」について語って頂いた内容、過去の体験を元にこのコーナでご紹介しています この取材ノートを通して家族や自身の何らかのアドバイスになれば幸いです 読者の皆様、取材に協力して頂き有り難うございました
尚、取材した内容は、本人の了解を得た上で掲載しています

