60歳 女性 ゆきんこさん
「おいらく取材ノート 体験者にきく2-1嫌いだった母」からの続きです
お母様が倒れていた状況を教えて下さい
ある日、毎週来ていたヘルパーさんから「チャイムを鳴らしてもお母様が出られません」と電話がありました 私は玄関先に着いてすぐに異変を感じました 新聞受けに新聞が3日間溜まっていたのです「お母さーん、お母さーん」・・何回か呼びましたが返事はありません 何となくですが、異臭が玄関先まで漂っているように感じました
母の癖で玄関のドアにチェーンをかけていたために、鍵を持っていてもすぐに部屋に入ることができず、鍵屋を呼んでチェーンを切ってもらい「お母さーん、いるのー?」私は叫びながら部屋に入っていきました 結局3日間リビングに倒れていた母 トイレも垂れ流しで汚れたままの姿で倒れていました
母の周りには数本の栄養ドリンクが散乱 買い物から帰った直後に倒れたのか?買ってきたばかりの栄養ドリンクが、たまたま床に置いてあったことで、それを飲みながら水分補給していたことが分かりました
お母様が倒れている時に、携帯でお話をされたそうですね?
私の自宅から実家まで車で10分 恥ずかしい話なのですが、近くに住んでいながら私は、母が倒れていたことを全く気づくことができませんでした
何故なら発見される前日(倒れて2日目)の夜に、私は母と携帯で話しをしていたのです 後で考えると、母の会話や口調がおかしかったような気がします 一方通行というか、しどろもどろの口調だったような・・・眠たいのか?と思ってしまい 何となく「お母さん寝ているの?どうしたの?」と聞いたことを覚えています
しかしまさか母が自宅で倒れているとは思わなかったのです 倒れて2日目の状況にも関わらず、母は娘からの電話を倒れたまま携帯でとって私と話していたことになります
それなのに・・・母は自分が倒れている事を私に一切言わなかったのです 私に心配をかけまいと何も言わなかったのか? 痴呆症が進行していて倒れていた事を覚えていないのか? 私には分かりませんでした
ゆきんこさんが事故に遭ってもお母さんを頼らなかったように、きっとお母さんもどこか娘に迷惑をかけたくないと思ったのかもしれないですね)何だか泣けてきます・・・( ; ; )
私は母が倒れたことは今回が初めてだと思っていましたが、過去に母は何回か倒れて近所の方に助けられた事があったと聞いた時はショックが大きかったです もう母に限界が来ていて「一人暮らしは無理だ」と確信した日でもありました
その後お母様は入院されたのですか?
「救急車で病院へ」
早速病院に連れて行って、脳の検査を受けさせました ところが何も問題がないのでお返しますと病院で言われたのです(正直こんな状態なのに返すのかと疑問でした)母が倒れていたにも関わらず異常がないと言われても・・・母を連れて自宅に帰ったものの、この先どうしようかと不安だらけでした
結局私がしばらく実家で母の様子を見ることにしたのですが、2日間でギブアップ 足が悪く筋力が低下していた母の介護は、私にとって大きい負担となっていました 夜中に何回か起こされては、精神的 肉体的な疲労が増していたのです 疲れ果てた私は介護を始めて三日目でしたが、ケアマネに助けを求めました
母と一緒に住むことも真剣に考えました 例え実家に一緒に住んでも、私の生活は変わらない、変えることはできない 仕事も辞められない、母の側に朝からずっといられない・・・・母に「どうしよう、どうしよう」と言っていたことを覚えています 今思うと母は当時、痴呆は出ていても最低限の会話はできていました きっと私が母のことで困っていることを、とっさに母は感じとっていたのではないかと思いました
施設を探すことに苦労されたそうですね?
「施設探し」
結局自分で介護ができないので、何とかして欲しいとケアマネに相談しました まずは何処か入居できる施設がないか?区役所の地域包括センターに行って相談してみました そこで紹介されたのが「すぐに入れる施設」でした 早速母を連れていきましたが、そこは4人部屋のカーテンで仕切られただけの、まるで活気のない病棟の様な施設でした
働いている看護婦さん達も、何だかとても暗い 何だか嫌な雰囲気を感じ取りました 何となくなんですが、「そこには母を預けられない」と感じ、入所を止める判断をしました その後なかなか母を預けられる施設がなくて困っていたところ、息子の同級生から「グループホーム」を紹介してもらい母を預けることができました そこは、母の年金で入居できる施設だったこともあって、やっと母を受け入れる施設が見つかりほっとしたことを覚えています
お母様が倒れてから何年くらい施設で過ごされたのですか?
母が自宅で倒れてからグループホームで2年間弱くらい過ごしたことになります 母は最後まで、自分は入院していると思い込んでいたと思います
仕事が終われば、毎日母に面会に行っていた私 体調が良い日には、母を施設から連れ出して、母を車に乗せてランチに行ったこともありました しばらくして、施設内で病気が発症してしまい、施設から病院へ移ることになりました
「おいらく取材ノート 体験者にきく2-3嫌いだった母」へ続く
老後を前向きに生きるためのヒントは、皆さんの生きてきたそれぞれの人生経験の中にあると思っています 人生経験豊富な年代の方ばかりではなく、若い世代の方でも同様です それは若い方なりの人生設計やプランが存在するからです
この取材ノートは、年齢問わず将来の自身の「おいらく(老いを楽しむ)」について語って頂いた内容をこのコーナでご紹介していきます 世代によって様々な考えや意見、そしてそれぞれの人生設計について聞くことができたら幸いです 読者の皆様、取材に協力して頂き有り難うございました
尚、取材した内容は、本人の了解を得た上で掲載しています

